楽しければそれで良いのか?【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第32回 |BEST TiMES(ベストタイムズ)

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楽しければそれで良いのか?【森博嗣】新連載「日常のフローチャート」第32回

森博嗣 新連載エッセィ「日常のフローチャート Daily Flowchart」連載第32回

 

【自己利益が最重要な方針】

 

 親と子の間でも、これと同様の駆け引きがある。「駄目だって叱りたくない」「褒めて育てたい」と親は引いているし、子供も「できるだけ逆らわない方が、結果的に得だ」と我慢している。お互いに譲歩しているように見えるけれど、結局はどちらも相手ではなく、自己利益を重視している点では同じだ。

 しかし、その自己利益こそが、人生の目的であり、個人の権利、自由というものだ、と考えるのが、現代社会の基盤をなす方向性といえる。翻って、それが集団でも、国家でもベースとなりつつある。綺麗事をぶつけ合うよりは、「自分ファーストだ」と宣言した方が正直であり正義なのだ、との考え方である。

 このような思想が前面に出てくるのは、「馬鹿正直」という言葉のとおりで、それだけ人類が馬鹿に近づいているせいかもしれない、とは思う。悪いとは思わない。馬鹿でも良い、馬鹿も含めてみんな人間だ、という方針なのだ。シンプルで裏表がない、思っていることをずばり発言できる人間が「良い人」だということだろう。かつての社会では、いいたいことがいえなかった。思ったことを呑み込んで我慢を強いられた。それに比べれば、自由が当たり前になった、と解釈すれば、少しは溜飲が下がるかもしれない。

 それでも、僕は少し抵抗したい気持ちを持っている。個人の楽しみが優先とはいえ、人生の時間は有限なのだから、効率を考えることは重要だと感じている。ただ、他者にそれを押しつけてはいけない。ここだけは注意が必要だ。

 僕は常に効率を考慮している。落葉掃除だって、風向き、風力、湿度を常に数日さきまで予測し、集めた落葉の湿り具合、焼却する順番、焼却場の選択、落葉を集めるタイミングなどを、考えて3日後くらいまで作業予定を決めている。自分一人が労働者だから、スケジュールを示してはいない。たまに手伝ってくれる人がいるとき、どこまでその計画を伝えれば良いのか、難しい問題となる。

 まあ、今のところは、気持ち良く楽しく作業ができればOK、ということで妥協している。あるときは、むしろ僕の仕事が増えて、手伝いがマイナスになることもあるのだが、ぐっと我慢をして、なにもいわないことにしている。ここに書いて、鬱憤を晴らすしかない。奥様は、書籍になったときに写真だけご覧になる程度で、僕の文章は読まれないから影響はないはず。

 「糟糠の妻は堂より下さず」という言葉を、若い頃の僕は「胴より下さず」だと勘違いしていて、腰よりも低い位置に下げて(軽んじては)はいけない、という意味だと解釈していた。家から追い出してはいけないなんて、当たり前すぎるのでは、と思うがいかがだろう?

 「妻の振り見て我が振り直せ」は、ありだと思う。振りを正そうなんて考えるのも、あまりよろしくない。こっそり思想に活かす方が良い。このように、執筆のネタにもなるのだから、まんざらでもない。

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 〈無駄だ、贅沢だ、というのなら、生きていること自体が無駄で贅沢な状況といえるだろう。人間は何故生きているのか、と問われれば、僕は「生きるのが趣味です」と答えるのが適切だと考えている。趣味は無駄で贅沢なものなのだから、辻褄が合っている。〉(第5回「五月が一番夏らしい季節」より)。

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森博嗣

もり ひろし

1957年愛知県生まれ。工学博士。某国立大学工学部建築学科で研究をするかたわら、1996年に『すべてがFになる』で第1回「メフィスト賞」を受賞し、衝撃の作家デビュー。怜悧で知的な作風で人気を博する。「S&Mシリーズ」「Vシリーズ」(ともに講談社文庫)などのミステリィのほか、「Wシリーズ」(講談社タイガ)や『スカイ・クロラ』(中公文庫)などのSF作品、また『The cream of the notes』シリーズ(講談社文庫)、『小説家という職業』(集英社新書)、『科学的とはどういう意味か』(新潮新書)、『孤独の価値』(幻冬舎新書)、『道なき未知』(小社刊)などのエッセィを多数刊行している。

 

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